松本光平、36歳。右目はほぼ見えず、左目もかすかにしか見えない。
「見えないなら、あきらめるべき?」
そんな常識を覆す男が、2025年5ソロモン諸島のクラブからJ3・高知ユナイテッドへ移籍。5月に天皇杯予選で、公式戦デビューを果たしました。
“夢は叶う”という言葉は、時に無責任に響くこともあります。でも松本選手の生き方を知ると、その言葉がぐっと現実味を帯びて感じられるのです。
今回は、2022年の激レアさん出演でも話題となった松本選手の経歴と失明の理由、視覚障害を乗り越えていく努力の日々を紹介していきます。
「希望はどこにでもある」ことを、一緒に感じてもらえらと思います。
松本光平 世界を渡り歩いた青春
大阪市出身の松本光平選手は、幼稚園のときにサッカーを始めました。
Jリーガーを目指してセレッソ大阪U-15に在籍。当時のチームメイトには柿谷曜一朗さんの名前も。
高校では、ガンバ大阪U-18に進み、安田理大、倉田秋、宇佐美貴史ら日本代表経験者と切磋琢磨しました。
高校卒業後は、イングランドへ渡り、帰国後も徳島ヴォルティス・セカンドやジェフ千葉リザーブズ、そしてオセアニアのクラブを渡り歩くなど、Jリーガーとなるため挑戦を重ね続けました。
2019年には、ニューカレドニアのヤンゲン・スポールの選手として、クラブW杯出場も経験。
正直、順風満帆なキャリアではありません。でも、“諦めない才能”を誰よりも持っていたのが、松本選手だと感じました。
松本光平 失明の理由・視覚障害との闘い
転機は、ニュージーランドのハミルトン・ワンダラーズに所属していた2020年5月。
ニュージーランドでの自主トレ中、トレーニングチューブの金具が外れて、右目に金具が、左目にはチューブが直撃。想像しただけでも、恐ろしいです。
緊急帰国後、手術を受け、眼球破裂は免れたものの、右目はほぼ失明状態で、左目もかすかに見える程度。先輩・倉田秋選手らが募金活動で支えてくれました。
そんな中で松本選手の心は沈まず、「もう一度クラブW杯の舞台へ」とリハビリに打ち込んでいきます。
失明に近い状況で、平衡感覚さえ失った日々。それでも松下選手は、「もう無理かもしれない」ではなく、「どうやったら戻れるか」を考え続けました。
松本光平 “見えない”からこそ見えるプレーがある
彼の復帰を支えたのは、小学生時代の恩師・吉川啓太コーチ、伊藤晋コーチ。子供のころから負けず嫌いで妥協することがないと、コーチたちも振り返ります。
視覚や知覚を鍛えるトレーニングを導入し、目の使い方から身体の使い方まで徹底的に鍛え直します。
松本選手のプレーは、健常者とほとんど変わりません。トラップやパスの正確さは、驚きの一言です。
プレー中は、首を大きく振って情報を拾い、わずかに見える左目でシルエット、靴の色などを頼りにピッチを駆け回ります。「水の中で目を開けて見ている感覚」と語る松下選手は、常に“見えない中での判断力”を磨き続けてきました。
松本光平 ケガから半年、驚くべきスピードで復帰 激レアさんにも出演
懸命に立ち上がってリハビリを続け、ケガから半年、2020年12月、かつて所属していたオークランド・シティFC(ニュージーランド)への復帰を果たし、クラブW杯出場を目指します。
しかしコロナ禍の中で、2020年と21年は、いずれもオークランドが出場を辞退。一度もプレー機会が得られないまま、松本さんは2021年末で契約満了となってしまいました。
2022年、テレビ番組「激レアさんを連れてきた。」に出演すると、フットサル・Fリーグ2部のデウソン神戸と契約。キャプテンを任されるまでに。
2023年8月には、ニュージーランド1部、ハミルトン・ワンダラーズでプロとして公式戦出場を果たします。
2024年は、ソロモン諸島・Sリーグに所属するソロモン・ウォーリアーズと契約。 OFCチャンピオンズリーグにキャプテンとして出場し、国際大会の舞台に再び立ちました。
松本光平 視覚障害者初のJリーガーが誕生
2025年、35歳で、J3・高知ユナイテッドSCに加入。視覚障害者として、史上初のJリーガーとなりました。
5月に天皇杯予選決勝で、公式戦デビュー(対KUFC南国)。
1点リードしたまま迎えた後半30分に途中出場。右サイドバックとして攻守ともに積極的なプレーを見せ、「わずかに見える左目」頼りに絶妙クロスも演出しました。
また、チームの若手選手が、練習後の松本選手の自主トレに参加したり、「世界での経験、目の怪我があってもプラスにとらえて行動する姿勢」を学んだりしています。
松下選手の存在が、チームに活気を与えるようになっている様子が感じ取れました。
松本光平の日常 すべてを削ぎ落として、サッカーに生きる
生活は、驚くほどストイック!
食事は、野菜や果物を生のまま食べる。キウイも皮に栄養があると、そのまま!
トレーニングとケア以外の予定は、ほぼなし。
体のケアを終えると、21時には就寝。
着飾った私服もなし。すべて、トレーニングウェア。
「やれることは全部やる。何かを理由にして逃げたくない」
松本光平が目指すもの ゴールはJリーガーじゃない
・目を怪我する前の自分を超えたい。
・視覚障害のあるプロサッカー選手として、Jリーグのピッチに立ちたい。
・Jリーガーになることがゴールではなく、活躍することが目標。同じような視覚障害を抱える子ども達に勇気を与えたい。
何度倒れても立ち上がる姿を見せている松下選手の言葉には、本当に、実現できると思わせてくれる説得力があります!
まとめ 「あきらめなかった人間」がいるという希望
松本光平の物語は、「視覚障害があっても夢は叶えられる」なんて簡単な一言では語りきれません。
彼が証明したのは、「人は、どんな状況でも前に進める」ということ。
目が見えなくても、夢を見ることはできる。
そして、その夢を叶えることだって、不可能じゃない。
彼が戦い続ける姿勢を読んだあなたが、もし何かに迷ったとき、「松本光平」という名前を思い出してくれたら。