釜本邦茂の現在(今)は何している?

「釜本邦茂さんが2025年8月10日に、大阪府内の病院で肺炎のため死去された」との報道がありました。
2023年9月ごろから誤嚥(ごえん)性肺炎で入院。2024年秋に手術を受け、一時、回復したものの療養を続け、6月中旬に容体が悪化したとのことでした。
サッカーを通じて、社会に様々な影響を与えてきた釜本さん、この訃報は、とても残念です。
釜本さんのご冥福をお祈りいたします。
素晴らしい実績を築き上げてきた釜本さん。現在も、子どもたちに向けた様々な活動をされ、サッカーの普及に尽力をされているようです。また、家族との絆を感じさせるエピソードも紹介していきます。
釜本邦茂サッカー教室を開催
引退後も釜本さんは、精力的に、子どものサッカー教室を開催しています。
2009年時点で通算1,000回を達成し、その後も年間約40回のペースで継続。子どもたちにサッカーの楽しさを伝えてきました。
国内に留まらず、シンガポール、タイ(バンコク)、マレーシア(クアラルンプール)、中国(上海・香港)など海外でも指導・普及活動を行ってきました。
こうした活動を可能にしているのは、ロッテやスリーボンド、シンエネコーポレーションなどによる支援とのこと。
単発イベントではなく長年にわたる継続的な普及活動が印象的で、現役時代の“人を引き付ける力”がそのまま指導にも生きていると感じます。
グランセナ・フットボールクラブで、スクールマスターを務める
2007年から新潟市の「グランセナ・フットボールクラブ」でスクールマスターを務めています。
同市の(株)トップカルチャーの清水秀雄社長が、大のサッカーファンで日本一のアマチュアチームになると立ち上げたクラブ。
人工芝のコートが大小5面あり、クラブハウスも備えた充実の施設にサッカーへの情熱を感じ、手伝いするようになったそうです。
設備の整ったクラブと一緒に地域のサッカーを育てるスタンスは、地方のスポーツ文化を底上げする良いモデルですね。
運転免許返納 孫の一言が決め手に
2023年2月、78歳で自動車の運転免許を自主返納しました。
70歳を過ぎた頃から家族に運転をやめるように言われていたものの、「運転はまだやめたくない」と固辞していたそうです。
しかし孫からの「事故を起こしたら、爺のこれまでが台無しになってしまう」という率直な言葉に心を動かされ、返納を決断しました。
「愛車のベンツも即処分ですわ」と笑って語っています。
趣味はゴルフということで、今はゴルフ場への行き帰りも車で送り迎えをしてもらっているそうですよ。
世代を超えた家族の思いやりが、人生の重要な決断につながった暖かいエピソードですね。最終的に自分の足跡を大切にする決断をしたのは、とても人間味があります。

「4月の誕生日に返納する」と、妻の誕生日(2月5日)にサプライズで家族に発表しようとしたところ、ぽろっと、返納時の特典を聞いてしまい、あれよあれよと返納のレールが敷かれてしまった、とのエピソードも。
釜本邦茂 70歳で、咽頭がんの手術を経験
2014年、70歳のときに咽頭がんの手術を受けています。きっかけは孫の「ジイジの声、何だかおかしい」という一言。
手術は成功したものの、またポリープは出てくると言われ、放射線治療を受けることに。その際、医師から、あっさりとガンであることが告げられたそうです。
家族の気づきが早期発見につながった可能性が高く、家族の存在が釜本さんの健康にとっても重要だったことを再認識しました。
現在(2025年時点)も病気に関する情報は公表されていないことから、大きな再発はないと推測されますが、詳細な経過は公表されていません。
釜本邦茂 妻・息子(子供)・孫は?家族構成を調査
妻:修子さん
妻の名前は、修子さん(誕生日:2月5日)。
「妻の修子には感謝しかない」と語っています。
G大阪の監督時代は心労が絶えなかったようだと振り返っています。
サッカーでは強気な釜本さんですが、意外にも、本当は人見知りで人の輪の中にすっと入っていけないそうです。
奥さんは、社交的な性格で、釜本さんをとてもカバーしてくれたと話しています。
釜本さんが家でできると話しているのは、
・植木の水やり
・新聞取り
・台所では、水割りの氷をグラスに入れること
ということ。
食事の支度は全くできず、家の中に何がどこにあるのかもわからないという状況…。
「妻なしでは生活できない」と、家庭では奥さんに頼りっきりのようです。
夫婦の今の楽しみは、気の置けない友人たちとの他愛のない会話。
お気に入りのものは、兵庫県豊岡市にあるメーカー、織人ORIGIN(オリジン)のバッグ。奥さんからのプレゼントで、よく使っているとのこと。
このようなエピソードから、夫婦の関係はとてもうまくいっているんだなと感じました。
釜本さんは、強く熱い選手でしたが、妻の支えがあってこその活躍だったことが分かりました!
息子:名前の情報なし
インタビューから、息子さんがいらっしゃることがわかります。車の免許を返納した後は、事務所との車での往復などもお手伝いされているようです。
釜本さんの事業のサポートをされているのかもしれませんね。
孫:女の子が2人
孫は、女の子2人いるそうです。名前は、梓(あずさ)と、望(のぞみ)。
上のお孫さんは弁護士、下のお孫さんは銀行勤務とのこと。
特に、上のお孫さんは、仕事柄、高齢者の交通事故の実態を見ることが多く、車の運転免許の返納を強く勧めていたそうです。
釜本邦茂の姉・美佐子さん:日本ブラインドサッカー協会の初代理事長
姉の美佐子さんは、視覚障害を持ちながら、2002年から17年間にわたって日本ブラインドサッカー協会の初代理事長を務めました。
1940年京都市生まれ。海外ツアーコンダクターとして世界を舞台に活躍していましたが、50代で網膜色素変性症の診断を受けました。
釜本家の行動力や、サッカーを通じた社会貢献の姿勢が強く感じられますね。
釜本邦茂 あだ名「ガマッチョ」の由来・海外での異名
もともとは、お兄さんが「ガマ」と呼ばれていたことが始まり。
釜本さんも同様に「ガマ」と呼ばれるようになりました。
1964年の東京五輪時代にも、チームメイトから「ガマ」と呼ばれていました。
そして、
メキシコ五輪を控えた1967,68年に、南米やメキシコ遠征に行った頃から、「ガマッチョ」に呼び名が変わっていったとのこと。
滞在中、語尾が「……ニョ」「……チョ」といった名前がやたらと聞こえてくるようになり、「ガマッチョ」の方が、呼びやすくなっていったっていう感じだったかな、と釜本さんが語っています。
海外メディアからは、豪快なシュート力にちなみ「サムライ・バズーカ」とも称されました。
ニックネーム一つにも、海外遠征での文化的影響が見えてくるのは、面白いですね。
「ガマッチョ」
一回聞くだけで記憶に残るニックネームですよね。ニックネームが、その人の魅力を強くする好例ですね。
釜本邦茂のプロフィールはこちら
生年月日 | 1944年4月15日 |
出身地 | 京都府京都市右京区太秦 |
身長、体重 | 179cm/79kg |
愛称 | ガマ、ガマッチョ |
ポジション | FW |
利き足 | 右 |
まとめ
今回は、釜本邦茂について深掘りしてきました。
- 引退後も国内外で、子どもたちへのサッカー教室を開催し、普及活動を継続している。
- 新潟のグランセナFCでスクールマスターを務め、地域の育成に貢献している。
- 2023年に78歳で運転免許を自主返納。決断のきっかけは孫の一言。
- 2014年に70歳で咽頭がんの手術と放射線治療を受けているが、現在は活動を継続している。
- 妻の修子さんの支えが大きく、家族との絆が深い。
- 息子と弁護士・銀行員の孫娘2人がいる。
- 姉の美佐子さんは日本ブラインドサッカー協会の初代理事長を務めた。
- あだ名「ガマッチョ」はメキシコ遠征あたりで定着。「サムライ・バズーカ」の異名も。
釜本邦茂さんは、現役時代の圧倒的な実績だけでなく、引退後もサッカー普及や地域貢献、家族との関係を大切にしていました。そして、妻や息子、孫にとても愛されていることが分かりました。
病気を乗り越え、家族に支えられながら現在も活動を続ける姿は、多くの人に希望と勇気を与えていくれました。
「釜本邦茂さんが2025年8月10日に亡くなられた」という報道は、残念で仕方ありませんが、釜本さんの人柄や功績、エピソードは、今後も語り継がれていくことでしょう。
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公開日:2025年