U-20ワールドカップ1999日本代表メンバーの現在は?(ナイジェリア大会)

1999年、ナイジェリアで開催されたFIFAワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)。

日本代表は史上初の準優勝を果たし、“黄金世代”として今も語り継がれています。

小野伸二、稲本潤一、遠藤保仁、高原直泰――後にA代表を支えたビッグネームも揃っていたこの世代。彼らは大会後、どのような道を歩んでいったのでしょうか。懐かしのメンバーを振り返りながら、現在の姿を追ってみます。

  1. U-20ワールドカップ 1999年ナイジェリア大会とは?
  2. U-20ワールドカップ U-20日本代表メンバーと現在
    1. GK(ゴールキーパー)
      1. 榎本達也 1番 (GK/横浜F・マリノス)
      2. 南 雄太 18番 (GK/柏レイソル)
    2. DF(ディフェンダー)
      1. 手島和希 2番 (CB/京都サンガ)
      2. 辻本茂輝 3番 (CB/京都サンガ)
      3. 石川竜也 4番 (左SB・左WB/筑波大)
      4. 加地 亮 5番 (右SB・右WB/セレッソ大阪)
      5. 中田浩二 12番 (CB/鹿島アントラーズ)
    3. MF(ミッドフィルダー)
      1. 稲本潤一 6番 (セントラルMF/ガンバ大阪)
      2. 酒井友之 7番 (右WB・セントラルMF/ジェフ市原)
      3. 小笠原満男 8番 (攻撃的MF/鹿島アントラーズ)
      4. 本山雅志 10番 (左WB・攻撃的MF/鹿島アントラーズ)
      5. 遠藤保仁 11番 (セントラルMF/京都サンガ)
      6. 小野伸二 13番 (攻撃的MF/浦和レッズ)
      7. 氏家英行 17番 (セントラルMF/大宮アルディージャ)
    4. FW(フォワード)
      1. 高原直泰 9番 (FW/ジュビロ磐田)
      2. 永井雄一郎 14番 (FW/カールスルーエ)
      3. 高田保則 15番 (FW・攻撃的MF/ベルマーレ平塚)
      4. 播戸竜二 16番 (FW/ガンバ大阪)
    5. バックアップメンバー
      1. 曽ヶ端準(GK/鹿島アントラーズ)
  3. U-20ワールドカップ 日本代表を支えた監督・コーチ
    1. 監督 フィリップ・トルシエ
    2. コーチ 山本昌邦
  4. まとめ

U-20ワールドカップ 1999年ナイジェリア大会とは?

大会は、1999年4月3日から24日まで、ナイジェリアで開催。

日本は、予選リーグで、アメリカ、カメルーン、イングランドと同組(グループE) 。
初戦のカメルーンに敗れたものの、アメリカ、イングランドに勝って、2勝1敗得失点差で、首位通過となりました。

決勝トーナメントで、ポルトガル、メキシコ、ウルグアイといった強豪を破る大躍進!

日本代表として、初の決勝進出!

FIFA主催の世界大会としては、男子・女子、そして全ての年代の日本代表を通じて初の快挙!

A代表では、2001年日韓コンフェデ杯がFIFA主催の世界大会で初めての決勝進出でした。

アジア勢としては、1981年大会のカタール以来。

決勝では、イケル・カシージャスやシャビ・エルナンデスなどを中心とするスペインに前半から次々とゴールを奪われ、4-0の大敗となってしまいましたが、準優勝。

日本サッカー史を大きく変える大会になりました。

大会ベストイレブンには、小野伸二、本山雅志の2名が選出されました。

本山雅志選手は、次のように決勝戦を振り返っています。
「あの大会でパッと頭に出てくる思い出といったら、スペインに負けたこと。全体的に浮き足立ったところは確かにあったかもしれないけど、僕は結構シュートを打ったなかで2本の決定機を外してしまった。ちゃんと決めておけば、というのずっと心に残っています。ただ負けはしたけど、全然手が届かないという感じもなかった」(引用:Number Web)

 

【主な出場選手】
シャビ・エルナンデス、イケル・カシージャス、パブロ(ゴールデンシューズ賞)ディエゴ・フォルラン、エステバン・カンビアッソロナウジーニョセイドゥ・ケイタ(ゴールデンボール賞) など

 

この大会で「日本人も世界で勝てる」と多くの人が感じたのではないでしょうか。

 

U-20ワールドカップ U-20日本代表メンバーと現在

では、1999年ナイジェリア大会 U-20日本代表メンバー一覧をポジション別に整理していきます。

GK(ゴールキーパー)

榎本達也 1番 (GK/横浜F・マリノス)

1979年3月16日生まれ、埼玉県出身
浦和学院高-横浜-神戸-徳島-栃木―FC東京

2016年で現役を引退し、FC東京普及部へ。ブラインドサッカー日本代表でプレーしたことも、話題となりました。
現在は、東京ヴェルディ強化部、明治大学サッカー部でGKコーチを務めています。

 

南 雄太 18番 (GK/柏レイソル)

1979年9月30日生まれ、神奈川県出身
静岡学園高-柏-熊本-横浜FC-大宮

2023年に現役引退。
現在は解説者のほか、横浜FC HAMABLUEコミュニケーションオフィサー、流通経済大柏高・FCグラシオン東葛でGKコーチ、フットサル場オーナーを務めています。

 

DF(ディフェンダー)

手島和希 2番 (CB/京都サンガ)

1979年6月7日生まれ、福岡県出身
東福岡高-横浜F-京都-G大阪-京都

2009年末に現役引退。
その後は京都のアカデミーで指導に従事し、現在はセレッソ大阪サッカースクールコーチを務めています。

 

辻本茂輝 3番 (CB/京都サンガ)

1979年6月23日生まれ、大阪府出身
近大附高-横浜F-京都-徳島-佐川印刷-FC大阪

2008年末に現役引退。
神戸、鳥取、清水の下部組織やアルテリーヴォ和歌山・鹿児島ユナイテッドなどで監督を歴任。
大阪府池田市で、サッカー教室「池田フットボールクラブ」の代表を務めています。

 

石川竜也 4番 (左SB・左WB/筑波大)

1979年12月25日生まれ、静岡県出身
藤枝東高-筑波大-鹿島-東京V-山形

2018年1月に現役引退を表明。
同時に8年間プレーした山形のトップチームコーチ、下部組織の監督などを経て、現在は、藤枝MYFCのアカデミーサブダイレクター兼U-15監督を務めています。

 

加地 亮 5番 (右SB・右WB/セレッソ大阪)

1980年1月13日生まれ、兵庫県出身
滝川二高-C大阪-大分-FC東京-G大阪-チーバス(アメリカ)-岡山

2017年末に現役引退。
サッカー解説業をこなしながら、カフェ・レストランやヘアエステサロンの経営などマルチに活躍中。

 

中田浩二 12番 (CB/鹿島アントラーズ)

1979年7月9日生まれ、滋賀県出身
帝京高-鹿島-マルセイユ(フランス)-バーゼル(スイス)-鹿島

2014年末に現役を引退。
鹿島で、CRO(クラブリレーションズオフィサー)、プログループマネージャーを務めたのち、2024年から、フットボールダイレクターに就任しています。

また、テレビ番組などでサッカー解説もこなしています。

 

MF(ミッドフィルダー)

稲本潤一 6番 (セントラルMF/ガンバ大阪)

1979年9月18日生まれ、大阪府出身
G大阪ユース-G大阪-アーセナル(イングランド)-フルアム(イングランド)-WBA(イングランド)-カーディフ(ウェールズ)-ガラタサライ(トルコ)-フランクフルト(ドイツ)-レンヌ(フランス)-川崎-札幌-相模原-南葛SC

2024年、現役引退。
2025年より川崎フロンターレ育成部コーチに就任。

 

酒井友之 7番 (右WB・セントラルMF/ジェフ市原)

1979年6月29日生まれ、埼玉県出身
市原ユース-市原―名古屋-浦和-神戸-藤枝MYFC-ペリタ・ジャヤ(インドネシア)-ペルセワ・ワメナ(インドネシア)-ペリシラム(インドネシア)-デルトラス(インドネシア)

2013年4月に現役引退。
浦和レッズハートフルクラブやジュニアチームで指導。現在も、ハートフルクラブコーチを務めています。

ハートフルクラブとは?

小学生向けサッカースクール、小学校授業サポート、中学校の部活サポート、サッカーキャラバン、サッカーイベントなどを開催しています。

 

小笠原満男 8番 (攻撃的MF/鹿島アントラーズ)

1979年4月5日生まれ、岩手県出身
大船渡高-鹿島-メッシーナ(イタリア)-鹿島

2018年に引退。
2019年に鹿島アカデミーのアドバイザーを経て、現在は、テクニカル・アドバイザーを務めています。

 

本山雅志 10番 (左WB・攻撃的MF/鹿島アントラーズ)

1979年6月20日生まれ、福岡県出身
東福岡高-鹿島-北九州-クランタン(マレーシア)

2023年4に現役引退。
引退後から、鹿島アントラーズ アカデミースカウト、2024年には、トップチームのコーチに就任(スカウトも兼任)しました。
現在は、コーチは退任し、スカウトに専念。

 

遠藤保仁 11番 (セントラルMF/京都サンガ)

1980年1月28日生まれ、鹿児島県出身
鹿児島実高-横浜F-京都-G大阪-磐田

J1歴代最多672試合出場。2023年に引退し、2024年からガンバ大阪のトップチームコーチを務めています。

 

小野伸二 13番 (攻撃的MF/浦和レッズ)

1979年9月27日生まれ、静岡県出身
清水商高-浦和-フェイエノールト(オランダ)-浦和-ボーフム(ドイツ)-清水-ウェスタン・シドニー(オーストラリア)-札幌-FC琉球-札幌

2023年に引退。
2024年に、北海道コンサドーレ札幌のアンバサダーに就任。役職名は「One Hokkaido Nexus Organizer(ワンホッカイドウ ネクサス オーガナイザー)」で、略称は「O.N.O」。

テレビ番組「MONDAY FOOTBALL みんなのJ」などにも出演し、サッカー解説もこなしています。

 

氏家英行 17番 (セントラルMF/大宮アルディージャ)

1979年2月23日生まれ、東京都出身
横浜Fユース-横浜F-大宮-草津-図南SC群馬/tonan前橋

2014年に、コーチ兼務だったtonan前橋で現役引退。
ザスパ草津に戻り、トップチームコーチ・GM補佐を歴任。

退任後、2020年に、群馬県前橋市でフィットネスジムを開業し、2021年からトレーナーとして活動中。

 

FW(フォワード)

高原直泰 9番 (FW/ジュビロ磐田)

1979年6月4日生まれ、静岡県出身
清水東高-磐田-ボカ(アルゼンチン)-磐田-ハンブルク(ドイツ)-フランクフルト(ドイツ)-浦和-水原三星(韓国)-清水-東京V-相模原-沖縄SV

沖縄県うるま市を拠点とする沖縄SVを創設。沖縄SVでは、オーナー・監督・選手の三役を務めました。2023年に現役引退。
引退後は、兼任していた監督も辞めて社長に専念。
沖縄SVが取り組んでいる「沖縄コーヒープロジェクト」の関係から、現役時代からコーヒー農園での作業にも従事。2021年に農業法人の沖縄SVアグリ株式会社を立ち上げています。

現在は、沖縄SVのCEO、沖縄SVアグリの代表として、選手の育成と農業に携わっています。

 

永井雄一郎 14番 (FW/カールスルーエ)

1979年2月14日生まれ、東京都出身
三菱養和SC-浦和-カールスルーエ(ドイツ)-浦和-清水-横浜FC-アルテリーヴォ和歌山-群馬-FIFTY CLUB(神奈川県1部)-はやぶさイレブン(神奈川県2部)-KONOSU CITY(埼玉県社会人3部)-大森FC(東京都2部)

現在は、東京都リーグ2部・大森FC(東京都大田区)で選手兼監督として、プレー中です。

 

高田保則 15番 (FW・攻撃的MF/ベルマーレ平塚)

1979年2月22日生まれ、神奈川県出身
平塚ユース-平塚/湘南-横浜FC-草津

2011年に現役引退。
2012年に草津のアンバサダーに就任。以降は日本サッカー協会「こころのプロジェクト」のスタッフを務めています。

 

播戸竜二 16番 (FW/ガンバ大阪)

1979年8月2日生まれ、兵庫県出身
琴丘高-G大阪-札幌-神戸-G大阪-C大阪-鳥栖-大宮-琉球

2019年に現役引退。

2020年に、Jリーグ特任理事(非常勤)、日本サッカー協会(JFA)のアスリート委員となります。2021年から、WEリーグの理事等を務めます
セレッソ大阪時代の2011年には、アスリートのコンサルティングやマネージメントを行う会社を設立。
熱いキャラクターで人気を得て、テレビなどのサッカー解説者としても出演中。

 

バックアップメンバー

曽ヶ端準(GK/鹿島アントラーズ)

1979年8月2日生まれ、茨城県出身
鹿島ユース-鹿島

23年間、アントラーズ一筋で、2020年に引退。
2021年から鹿島のアシスタントGKコーチ、2023年から、ユースGKコーチを務めました。

2025年から、トップチームGKコーチを務めています。

 

U-20ワールドカップ 日本代表を支えた監督・コーチ

監督 フィリップ・トルシエ

1955年3月21日生まれ、フランス出身
U-20代表から五輪代表、A代表までの指揮を兼任。

1998年に日本代表監督に就任し、2002ワールドカップで初のベスト16に導きました。

他にも、コンフェデレーションズカップ準優勝(2001年)、アジアカップ優勝(2000年)を果たしています。

1999年には、FIFAワールドユース選手権(現FIFA U-20ワールドカップ)で、日本がFIFA大会で初めて準優勝、2000年のシドニーオリンピックでは、ベスト8に進出しました。

1983年に監督キャリアをスタート。フランスやアフリカ各地、中国のクラブを指揮し、ナイジェリアや南アフリカ、カタールなどで代表監督を歴任。
近年では、ベトナムでのA代表やユース年代の監督を務めていました。

今は、フランス・サンテミリオンという地域でワイナリーも営んでいます。

 

コーチ 山本昌邦

1958年4月4日生まれ、静岡県沼津市出身
フィリップ・トルシエ監督を補佐。1999ワールドユース選手権の準優勝などの成績を残しました。その後、U-23日本代表や磐田の監督を務めます。

2016年に、日本サッカー協会・技術委員会副委員長に就任。

2023年には、日本代表を担当するナショナルチームディレクターに就任
「最大のミッションは各代表チームのバックアップになります。各カテゴリーの代表監督や所属クラブ・学校などとの調整を行うことが役割」と話しています。

 

まとめ

1999年ナイジェリア大会のU-20日本代表は、間違いなく日本サッカーのターニングポイントでした。彼らの軌跡を知ることは、日本代表の現在と未来を理解する上でも欠かせません。
当時を知るファンにとっては懐かしく、若いファンにとっては“歴史を知るきっかけ”となる世代です。

次回は、2003年UAE大会のメンバーを振り返りながら、また別の“懐かしさ”を探っていきます。

公開日:2025年

(注)本記事は公開時点の情報をもとに作成しています。詳細や最新の動向は公式発表や信頼できるニュースソースをご確認ください。

 

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