2003年、UAE(アラブ首長国連邦)で開催されたFIFAワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)。
日本代表には、のちにW杯4大会連続出場を果たす守護神・川島永嗣、鉄人ボランチ・今野泰幸、横浜F・マリノス一筋でクラブの象徴となった栗原勇蔵、そして国見高校の怪物ストライカー・平山相太らが名を連ねました。
彼らは大会後、どのような道を歩んでいったのでしょうか。懐かしのメンバーを振り返りながら、現在の姿を追ってみます。
U-20ワールドカップ ワールドユース選手権2003年UAE大会とは?
大会は、2003年11月27日から12月19日にかけて、アラブ首長国連邦(UAE)で開催されました。
【主な出場国】 アジア:日本、アラブ首長国連邦(開催国)、韓国など オセアニア:オーストラリア ヨーロッパ:スペイン、ドイツ、イングランドなど アフリカ:コートジボアール、エジプトなど 北・中米・カリブ海:アメリカ、カナダなど 南米:アルゼンチン、ブラジルなど |
決勝では、ブラジルがスペインに1-0で勝利し、5大会ぶり4度目の優勝!
・得点王(ゴールデンボール賞)には、4得点で、坂田大輔、フェルナンド・カベナギ、ドゥドゥ、エディ・ジョンソンの4人が受賞しました。
・ゴールデンボール賞 イスマイル・マタル(UAE)が受賞しました。
【主な出場選手】 ブラジル:ニウマール、ダニエウ・アウヴェス、ドゥドゥ スペイン:イニエスタ、セルヒオ・ガルシア アルゼンチン:カベナギ、ハビエル・マスチェラーノ ドイツ:トロホウスキ |
U-20ワールドカップ 日本代表の成績は?
日本は、予選リーグで、コロンビア、エジプト、イングランドと同組(グループD)。
初戦のイングランドに勝利したものの、2戦目のコロンビアに敗れます。3戦目のエジプトに勝利し、勝ち点6(2勝1敗)で首位通過となりました。
決勝トーナメントでは、ベスト16で韓国と対戦し、延長の末2‐1で勝利!
準々決勝(ベスト8)では、優勝したブラジルに1-5で敗れてしまいます。

メンバーのうち、川島選手と今野選手がのちにワールドカップ出場を果たし、栗原選手や永田選手、菊地選手、徳永選手、平山選手たちがA代表に上り詰めました。
U-20ワールドカップ U-20日本代表メンバーと現在
では、2003年UAE大会 U-20日本代表メンバーを、代表でのポジション別に整理していきます。
GK(ゴールキーパー)
川島永嗣 1番 (大宮アルディージャ)
1983年3月20日生まれ、埼玉県出身
浦和東高-大宮-名古屋-川崎-リールセSK-スタンダール・リエージュ-ダンディー・ユナイテッド-FCメス-ストラスブール-磐田
2024年シーズンからジュビロ磐田に加入し、2025年シーズンも引き続きプレーし、キャプテンに就任しています。
岡本昌弘 12番 (ジェフユナイテッド市原)
1983年5月17日生まれ、千葉県出身
ジェフユナイテッド市原ユース-ジェフユナイテッド市原・千葉-愛媛-鳥栖
2024年に現役引退。
2025年から、ジェフユナイテッド千葉のアカデミーGKコーチに就任しています。
DF(ディフェンダー)
角田誠 3番 (京都サンガ)
1983年7月10日生まれ、京都府出身
京都ユース-京都-名古屋-京都-仙台-川崎-清水-長崎-ポルベニル飛鳥
2021年に現役引退。
2022年から、ベガルタ仙台アシスタントコーチ・アカデミーコーチを務めました。
2024年8月から、レイラック滋賀FC(JFL)の監督を務めています。
菊地直哉 4番 (ジュビロ磐田)
1984年11月24日生まれ、静岡県出身
清水商業高-磐田-新潟-FCカールツァイス・イェーナ-大分-新潟-鳥栖-札幌-福岡
2019年に現役引退。
2020年からサガン鳥栖のコーチ。2023年にヘッドコーチに就任。
2025年からは、U-18コーチを務めています。
永田充 5番 (柏レイソル)
1983年4月6日生まれ、静岡県出身
静岡学園高-柏-新潟-浦和-東京V-東京ユナイテッドFC(関東リーグ1部)
2020年に現役引退。
製造業コンサルティング会社を営む父・公雄さんからの「現場を知った方がよい」とのアドバイスから、同年3月に東京ユナイテッドのパートナー企業である文化シヤッターに入社。小山工場業務課に配属され、シャッター製造業務に従事しています。
近藤直也 13番 (柏レイソル)
1983年10月3日生まれ、栃木県出身
柏レイソルユース-柏-千葉-東京V-G大阪-チーバス(アメリカ)-岡山
2020年に現役引退。
2013年に、茨城県でサッカースクール「DO SOCCER SCHOOL」を開校。
2021年、現役引退後に農業参入を考え、つくば市を中心に農家とのつながりを作る『ワニナルプロジェクト』を発足。
2022年には、体幹強化特化型のスポーツ教室『みんなDE体幹トレーニング』を開校しています。
現在は、株式会社DOMA代表取締役、『みんなDE体幹トレーニング』代表、合同会社ワニナルプロジェクト代表社員を務めています。
栗原勇蔵 16番 (横浜F・マリノス)
1983年9月18日生まれ、神奈川県横浜市出身
横浜F・マリノスユース-横浜F・マリノス
横浜F・マリノス一筋でプレーし、2019年に現役引退。
2020年に、横浜F・マリノスのクラブシップ・キャプテンに就任。就任のタイミングがコロナが広がった時期で、チームのライブ配信を行ない、MCを務める。
2025年からは、横浜F・マリノスのチーム統括本部でチーム編成に関わっています。
MF(ミッドフィルダー)
徳永悠平 2番 (早稲田大)
1983年9月25日生まれ、長崎県出身
国見高-早稲田大-FC東京-長崎
2020年、現役引退。
引退後は、お父さんが経営するコンクリート二次製品などの製造販売を行う会社に入社。
また、農家の友人から借りた畑でスイートコーンの栽培や地元のお米を使った甘酒製造にも関わりました。
現在は、お父さんの会社の副社長を務めるほか、プロアスリートなどのマネジメント、PR・マーケティング・イベント等の企画制作・運営、地方創生事業などを行う会社を設立しています。
今野泰幸 6番 (コンサドーレ札幌)
1983年1月25日生まれ、宮城県出身
東北高-札幌―FC東京-G大阪-磐田-南葛SC(関東リーグ1部)
現在も、南葛SCで現役続行中です。
成岡翔 7番 (ジュビロ磐田)
1984年5月31日生まれ、静岡県出身
藤枝東高-磐田-福岡-新潟-相模原-藤枝
2019年に引退。
2020年、藤枝MYFCのアンバサダーに就任。
サッカースクールSKYのコーチも務め、子供たちの指導にあたるほか、2025年には、スポニチ新潟版のサッカー評論家に就任しました。
また、自身のブランドを立ち上げアパレルアイテムを作り出すほか、様々な活動でスポーツを通じた地域振興に取り組んでいます。
小林大悟 8番 (東京ヴェルディ)
1983年2月19日生まれ、静岡県出身
清水商高-東京ヴェルディ-大宮-スターベク(ノルウェー)-清水-バンクーバー・ホワイトキャップス(アメリカ)-ラスベガス・ライツFC(アメリカ)-バーミングハム・リージョンFC(アメリカ)
2022年に現役引退。
2023年にパリ・サンジェルマンアカデミーJAPANのテクニカルダイレクターに就任。
現在は、自身のサッカースクール「DAIGO FOOTBALL SCHOOL」を立ち上げ、子供たちの指導に当たっています。
山岸智 14番 (ジェフユナイテッド市原)
1983年5月3日生まれ、千葉県出身
ジェフユナイテッド市原ユース-千葉-川崎-広島-大分-VONDS市原(関東リーグ1部)
2021年に現役引退。
現在は、 LEGARE FC HIROSHIMA(広島県)コーチ、アレスアスナロフットボールクラブ(千葉県)テクニカルアドバイザーなどを務めています。
鈴木規郎 15番 (FC東京)
1984年2月14日生まれ、千葉県出身
八千代高-FC東京-神戸-アンジェ(フランス)-大宮-仙台-グローバルFC(フィリピン)
2016年に現役引退。
現在は、株式会社By players代表取締役を務め、選手、指導者の総合的なマネージメント・移籍交渉、メンタルサポート、サッカー教室、イベントの企画、開催などに携わっています。日本サッカー協会登録仲介人。
谷澤達也 18番 (柏レイソル)
1984年10月3日生まれ、静岡県出身
静岡学園高-柏-千葉-FC東京-千葉-町田-相模原-藤枝
2021年に現役引退。
2022年に、藤枝MYFCアカデミースタッフに就任しています。
一般財団法人キッズスポーツ推進協会のメンバーにも名前を連ねています。
山口慶 20番 (名古屋グランパスエイト)
1983年6月11日生まれ、京都府出身
名古屋ユース-名古屋-千葉-草津-図南SC群馬/tonan前橋
2014年に現役引退。
引退後は保険総合代理店に勤務。
2019年に栃木SCスカウト担当、2020〜2021年に栃木SC強化部長に就任。
2022年からは、栃木SCスポーツダイレクター兼強化部長を務めますが、2024年に降格の責任を取り辞任しています。
FW(フォワード)
茂木弘人 9番 (サンフレッチェ広島)
1984年3月2日生まれ、福島県出身
聖光学院高-広島-神戸-福島
福島移籍と同時に福島医療専門学校に通い、2018年に鍼灸師の資格を取得。
2019年に、現役引退。
2019年から、かまた鍼灸整骨院(福島市)で鍼灸師として勤務しています。
また、同じ年には、聖光学院高等学校サッカー部コーチに就任しています。
坂田大輔 10番 (横浜F・マリノス)
1983年1月16日生まれ、神奈川県出身
横浜F・マリノスユース-横浜F・マリノス-アリス・テッサロニキ(ギリシャ)-FC東京-福岡
2018年に現役引退。
引退後は、「スポーツコンサルティングジャパン」代表のロベルト佃氏の誘いもあり、代理人業界へ。2019年4月に入社。日本サッカー協会登録仲介人。
阿部祐大朗 11番 (横浜F・マリノス)
1984年10月5日生まれ、東京都出身
桐蔭学園高-横浜F・マリノス-山形-フェルヴォローザ石川・白山-徳島-鳥取
2011年に現役引退。
引退後は、株式会社ノバレーゼに入社し、ウェディングプランナーを務めます。
現在は、外資系カード会社で法人営業を務めています。
宇野沢祐次 17番 (柏レイソル)
1983年5月3日生まれ、千葉県出身
柏ユース-柏-福岡-JAPANサッカーカレッジ-長野
2020年に現役引退。AC長野パルセイロのアカデミースタッフに就任。
U-18コーチを経て、2022年にAC長野パルセイロ U-18監督に就任。
平山相太 19番 (国見高)
1985年6月6日生まれ、福岡県出身
国見高-筑波大-ヘラクレス・アルメロ(オランダ)-FC東京-仙台
2018年に現役引退。
その後、仙台大学に入学。入学後は、学生としてだけでなく、サッカー部セカンドチームの監督を務め、2019年からトップチームのコーチに就任。
仙台大学卒業後は、筑波大学大学院に進学。
2022年には筑波大学蹴球部コーチに就任しました。
2024年からは仙台大学の教員となり、スポーツコーチングやアスリート育成論を担当しています。また、サッカー部監督として、大学生の育成に努めています。

川島選手や今野選手は、41歳となって、まだ現役を続けています。
また、永田選手、徳永選手、阿部選手など、サッカーとの関わりのない会社員をしている方、近藤選手や茂木選手のように、引退後を見越して現役時代からキャリアを積み上げていた方など、選手のセカンドキャリアについて、考えて見たくなりました。
U-20ワールドカップ チームを支えた監督
大熊清
1964年6月21日生まれ、埼玉県出身
現役時代のポジションはディフェンダー。
1995年に東京ガスSC監督に就任。
1999年、J2・FC東京監督として、J1昇格を果たしました。2001年で監督を退任。
2002年8月に当時U-19代表田嶋幸三監督がJFA技術委員長に就き、後任として監督就任。
10月のAFCユース選手権(U-20ワールドカップ最終予選)で準優勝。
2003年のFIFAワールドユース選手権ではU-20監督として、ベスト8に進出しました。
引き続きU-20代表監督として、2005年のワールドユース選手権に出場し、ベスト16。
その後は、日本代表コーチ、FC東京、大宮アルディージャ、セレッソ大阪で監督など、清水エスパルスでGMを務めます。
2024年からは、京都サンガF.C.のGMに就任しています。
田嶋幸三
1957年11月21日生まれ、熊本県出身
現役時代のポジションはフォワード。
U-19発足当初、監督を務めていましたが、日本サッカー協会(JFA)技術委員長に就任したことで、退任。
アジアサッカー連盟、国際サッカー連盟(FIFA)理事、第14代日本サッカー協会会長(2016-2024)などを務めました。
まとめ
・日本代表の成績:2勝1敗でグループ突破。決勝トーナメントでは、韓国に勝利するも、準々決勝でブラジルに敗退しベスト8。
・選手たちの現在:現役続行、指導者、代理人、経営者、会社員など、多彩な進路を歩んでいます。
・監督の歩み:大熊さんは、クラブの監督やGMを歴任。田嶋さんは、日本サッカー協会会長を務めました。
Jリーグを中心にキャリアを歩んだ選手や、若い頃に注目を浴びつつも途中で方向を変えた選手もいて、それぞれの道のりにドラマがあります。
「そういえばあの選手はこんなクラブでプレーしていたな」と思い出したり、「今は解説や指導者として見かけるね」と懐かしさを感じたりできるのも、楽しみ方。
振り返ることで、当時のワクワク感や、未来を期待して応援していたあの気持ちが蘇ってきますね。
公開日:2025年
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