釜本邦茂 現役時代の凄さ、プレースタイル、ポジションは?

釜本邦茂(かまもと くにしげ)、日本サッカー史上最高と言われた不世出のストライカー。

2025年8月10日、肺炎で死去されたことが報じられました。

私自身、釜本さんの現役時代のプレーを見たことはありませんでした.

でも調べれば調べるほど、「こんなすごい人が日本にいたのか!」と驚きの連続。

今回は、釜本邦茂の驚異的な凄さやエピソード、プレースタイルやポジションまで、釜本さんの魅力をぎゅっとまとめてお届けします。

皆さんにもぜひ知っていただき、その凄さを感じてもらえたらと思います。

釜本邦茂 凄さはこれだ 成績・得点・ゴール数、相棒、身長、引退試合の逸話

現役時代の成績・得点・ゴール数

■日本サッカーリーグ

251試合出場で、通算202得点、通算79アシストは、ともに歴代1位。
得点は、1試合平均で0.805点になります。

Jリーグでの最多得点記録1位の大久保嘉人は0.400点、同2位の興梠慎三は0.319点、同3位の佐藤寿人は0.399点となっています。また、中山雅史は0.442点、三浦知良は0.426点です。

驚異的な得点ペースであることが分かりますね。

この他にも、飛び抜けた実績を残しています。
・得点王 7回
・アシスト王 3回
・年間優秀11人賞 14回
・日本年間最優秀選手賞 7回(歴代1位)

■日本代表

国際Aマッチ76試合75得点を記録。

ちなみに、PKによる得点はひとつもありませんでした。
通算55点で歴代2位の三浦知良が、PKで9点を上積みしています。

そして、1968年メキシコオリンピックでは7得点を挙げ、得点王に輝きます。

日本代表の銅メダル獲得にも大きく貢献しました。

「日本が銅メダルを獲得するなんて、世界中で誰も考えていなかったですから。3位決定戦でメキシコに勝利した瞬間は「ああ、これで終わった」という感情でした。11日間で6試合というのは非常に過酷だったので、疲労感しかなかったです。(引用:JFA100周年公式HP)

相棒・杉山隆一との名コンビ 日本代表での逸話

日本代表では、杉山隆一さんとの名コンビで知られていました。
杉山隆一さんは、釜本さんより3歳年上で、左ウイングをつとめていました。

杉山さんと釜本さんは、毎日、練習後に200本はクロスからシュートの練習を繰り返します。「ちゃんと決めろ」「パスが悪い」と、お互いの要求を激しくぶつけ合ったことで、コンビの成熟度は、いつしか究極の域に達していたそうです。

メキシコ五輪での釜本さんの7点のうち、杉山さんのパスから決めたものが4点でした。

3位決定戦でメキシコから奪った2点は、その賜物ともいえるものだと語られています。

・1点目 ~ 杉山がDFの裏にフワリと出したボールを、釜本が胸トラップから左足のボレーで決めて先制点。
・2点目 ~ 中央に切れ込んだ杉山からパスを受けた釜本が、トラップした瞬間に2点目となる右足シュートを突き刺す。

身長をサバ読み!?

公称179cmでありましたが、実際には、181cmくらいあったそうです。
サバ読みした理由は、「大柄でどんくさい奴と思われるのが嫌だったから(笑)」

さらに強靭な体を作ったのは、釜本家秘伝の「鶏がらスープ」。

お父さんの仕事がハードで、滋養のためにと作るようになり、釜本さんも毎日飲むようになると、身体つきもよくなってきたそうです。

鶏の骨を4時間煮込んだ栄養満点のスープを、夏も冬も毎日飲み続けたそうですよ。プロ野球の名トレーナーも「王貞治にもひけを取らない筋肉」と絶賛するほどの体つきでした。

サインにも注意!? ファンの色紙のつもりが契約書?

メキシコオリンピック大会期間中、ファンを装ったクラブ関係者から色紙ではなく契約書を渡され、危くサインしそうになった、とのエピソードも。

沢山の人にサインを求められるから、小さくサインすると何に利用されるか分からないし、サインは紙の真ん中に大きくガーンと『釜本邦茂』と書いていたそうですよ。

ペレも称賛した引退試合

国立競技場で行われた引退試合には6万人が詰めかけ、世界的スターのペレやオベラートも来日。

試合後には肩車で場内を回り、「日本のサッカー少年は釜本を見習え」とペレがコメント。

世界のスーパースターからも認められる存在だったことがわかります。

 

釜本邦茂 プレースタイル、ポジションは?

ポジションは、FW。

右足でも、左足でも、そして頭でも。どこからでも点が取れる、まさに本物のストライカー!

代名詞と言えば、右45度からのシュート

得意の得点パターンは、ドリブルで持ち込んで、マシューズ流のフェイントの後、右足アウトで右外へかわして、右45度の角度から繰り出す強烈なシュート。

その威力は、相手チームのGKが手を負傷して交代を余儀なくされたこともあったことから、よくわかります。

このシュートの体得にあたっては、ドイツに留学した時に、往年のポルトガルの名ストライカー・エウゼビオのビデオを手に入れて、もう擦りきれるくらい見たとか。

この一連の流れを作りあげたのは、お父さんが剣道をやっていて「型を持て」ということを強く言われていたことがあるそうです。

一対一になったときに「こうなったら絶対勝てる」という型を作る。ボールを持って抜いたり取られないようにする型を身に付けないとだめだ、ということですよ。

 

努力を惜しまない練習 ちょっと変わった練習法も。

右45度からのシュートが代名詞ではありましたが、左足でも、そして頭でも。どこからでも点が取れる、まさにスキのないストライカーが釜本さんでした。
それも、日々の努力で自分のものにしていきました。

・高校時代は「熊」と呼ばれていましたが、ドイツでの留学経験からスピードの必要性を痛感し、猛特訓。
・利き足の右以外の左足も使えるように、食事の時に左手で箸を持って食べたということも。
・早大時代は、電車のつり革を持たずに立ち続け、ドリブルで相手をかわす感覚を磨くため新宿・歌舞伎町を全力疾走。
・ドリブルの魔術師スタンレー・マシューズのフェイント、そしてエウゼビオのシュートを融合させたプレーは、他のプレイヤーの真似でありながら、それを本物にしている。その裏には、人に知られない練習量が隠されています。
・大学の新人戦でヘディングシュートを決めて、点をとるためのヘディングの重要性に気付き、上達のためにGKにボールを蹴ってもらい、その落下点へ走る練習、左右からのクロスに合わせる練習を継続して行いました。地道な練習ですが、釜本さんは反復することを厭わなかったそうです。

「足りないものがあれば、それを鍛えなければならない。畳一畳があれば十分。毎日10分間でも筋トレすればいい。気持ち次第で、いつでもどこでも体を鍛えることはできる」と、努力する意識付けを説明しています。

釜本邦茂にとってのサッカーとは?

「サッカーは私のすべて。体が動く限り、子どもたちに指導を続けたい」と語っていた釜本さん。情熱と努力で築き上げた功績は、日本サッカーの財産として永遠に語り継がれるでしょう。

 

まとめ

今回は、釜本邦茂について深掘りしてきました。
• 圧倒的な得点力:日本サッカー史に残るペースでゴールを量産。
• 最強コンビ:日本代表では、左ウイング・杉山隆一との連携で数々の名ゴール。
• 体作りの秘訣:身長サバ読みと釜本家秘伝「鶏がらスープ」で最強ボディ。
• 世界的評価:ペレからも称賛
• 万能ストライカー:右45度のシュートを武器に、右足・左足・頭どこからでも得点。
• 努力の鬼:独自の練習法で弱点を克服。

釜本邦茂さんは、才能だけでなく、努力・研究・情熱を兼ね備えた真のストライカーでした。その姿勢と功績は、これからの日本サッカーにとっても、永遠の教科書になるはずです。

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公開日:2025年
(注)本記事は公開時点の情報をもとに作成しています。詳細や最新の動向は公式発表や信頼できるニュースソースをご確認ください。
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