日本サッカー界に「野人」のニックネームで名を刻んだ岡野雅行。
1997年、「ジョホールバルの歓喜」で歴史的ゴールを決め、日本を初めてワールドカップへ導いた瞬間を覚えている方も多いのではないでしょうか。
そんな岡野さんも52歳(2025年現在)。現在は、南葛SCの事業本部長として、新たな挑戦を始めています。
岡野雅行 引退後は、ガイナーレ鳥取で地域貢献
岡野雅行さんは、現役時代に「野人」愛称で活躍。
ガイナーレ鳥取では、2009年に選手として加入、2014年からはGM、2017年からは代表取締役GMとして手腕を発揮していました。
就任当初に取り組んだ、寄付をすると、境港から海産物がお礼として届けられる『野人と漁師のツートッププロジェクト』は当時大きな話題となりました。
ガイナーレ鳥取が「野人」岡野雅行GMの新プロジェクトを発足! http://t.co/YZkZ1tT9wE #gekisaka pic.twitter.com/0ix6HS2tMd
— ゲキサカ (@gekisaka) October 20, 2014
スタジアムに「YAJINスタジアム」と名が付いたのも、彼が地元に愛されていた証拠ですね。
2010年7月に、米子市安倍にサッカー専用スタジアム「YAJINスタジアム」と、スタジアムを中心としたスポーツ交流公園「強小の森スポーツパーク」を整備する計画を発表。
2012年4月からスタジアム建設が始まり、12月完成しました。
地域とクラブを結びつける姿は、まさに「野人」らしいパワフルな存在感でした。
岡野雅行 南葛SCでの新たな挑戦
2025年からは、キャプテン翼でおなじみの南葛SCの事業本部長に就任。
両親の体調もあり、東京に拠点を移す決断をしたそうです。
就任コメントでは「景色が変わる、ものすごいやつをもたらす」と力強い言葉を残し、早くも2月の節分祭では青鬼姿で登場!
👹リリース👹
南葛SCが地元葛飾区の「節分」イベント参加! 野人・岡野雅行らが「南葛青鬼」に扮して登場https://t.co/bLq8ox182D🗣️編集部より
「南葛SCの事業本部長に就任した岡野雅行氏、小針清允GKコーチの長髪コンビが『南葛青鬼』に扮して節分イベントに参加することが発表されました」 pic.twitter.com/Sd1Xuhm2Td— サッカーキング (@SoccerKingJP) January 23, 2025
区民やサポーターに“福”を届けるなど、存在感を見せつけています。現役時代と変わらぬサービス精神旺盛さに、思わず笑顔になりますね。
岡野雅行 高校時代は?
松江日本大学高等学校 (現:立正大学淞南高等学校) から日本大学へ進学しています。
テレビ朝日「激レアさんをつれてきた」では、サッカー部の無かった全寮制高校でヤンキーだらけのサッカー部を立ち上げ、高校は県内有数の強豪チーム(最高で県大会3位)に成長したエピソードを話しています。
若い頃から「無いなら作る」という精神で挑んできたことが、今のキャリアにつながっていると感じます。
★主な経歴
1972年 神奈川県生まれ
1988~1990年 松江日本大学高等学校 (現:立正大学淞南高等学校) に入学
1991~1993年 日本大学(3年次中退)
1994~2001年 浦和レッドダイヤモンズ
1997年 フランスW杯予選・イランとの第3代表決定戦で、初めてのW杯出場に導くゴール
2001〜2003年 ヴィッセル神戸
2004〜2008年 浦和レッドダイヤモンズ
2009年 TSWペガサス(香港)
2009〜2013年 ガイナーレ鳥取
2014~2016年 ガイナーレ鳥取GM
2017~2024年 ガイナーレ鳥取代表取締役GM
2025年~ 南葛SC 事業本部長
まとめ
今回は、野人・岡野雅行さんについて紹介してきました。
• ガイナーレ鳥取で地域に根ざした活動を展開
• 南葛SC事業本部長として新天地で挑戦
• 高校時代はサッカー部を自ら創設する情熱家
• 家族に支えられつつ、伝説のゴールで歴史を刻む
岡野雅行さんは、現役時代の野性的なプレーだけでなく、引退後も地域やクラブのために情熱を注ぎ続けています。
どんな場所でも“景色を変える男”として存在感を放つ姿は、今なお私たちに勇気を与えてくれますね。