川崎フロンターレが誇る若き才能、大関友翔(おおぜき ゆうと)。U-20日本代表やA代表にも名を連ね、いま最も注目されている若手MFの一人です。
とはいえ、彼のキャリアは順風満帆だったわけではありません。セレクションの落選、ユース時代の葛藤、そしてJ3での武者修行…。数々の経験を乗り越えて、今まさに花開こうとしている選手です。
今回は、大関友翔の小学校、中学校、高校、川崎フロンターレ、福島ユナイテッドでの成長を詳しくたどります。あわせて、ポジション・プレースタイルを紹介していきます。
川崎フロンターレファンはもちろん、若手の成長ストーリーに興味がある方にもおすすめです!
大関友翔 経歴まとめ
所属クラブ歴・出身校などをまとめてみました。
▶真福寺FC – FC多摩ジュニア[川崎市立真福寺小学校]- FC多摩ジュニアユース[川崎市立柿生中学校] – 川崎フロンターレU-18[神奈川県立生田東高等学校]※2022年は2種登録選手 – 川崎フロンターレ – 福島ユナイテッドFC(期限付き移籍) – 川崎フロンターレ
▶日本代表歴
25年:U-20日本代表、日本代表A代表
24年:U-19日本代表
23年:U-18日本代表
22年:U-17日本代表
21年:U-17日本代表
20年:U-16日本代表候補
20年:U-15日本代表候補
大関友翔 幼少期から高校時代
幼少期~小学生時代 憧れのクラブとともに育った少年
大関選手がサッカーを始めたのは、なんと幼稚園の年中のとき。5歳上のお兄さんの影響でボールを蹴りはじめます。自宅近くの王禅寺源内谷公園(川崎市麻生区)で、夢中になって練習を重ねていたそうです。
そして、小学校3年生までは、地元「真福寺FC」に所属。今でも、真福寺FCのグラウンドに顔を出すことがあるそうです。子どもたちだけでなく、育てた監督やコーチもうれしいでしょうね。大関選手の温かさが感じ取れるエピソードです。
その後、強豪「FC多摩ジュニア」に移籍し、より高いレベルを目指して歩み始めます。
ちなみに、大関選手は、小さい頃から筋金入りの“フロンターレファン”。お父さんと一緒に練習見学に通い、憧れの中村憲剛さんにサインをもらおうと粘ったものの、結局もらえなかった…なんて、微笑ましいエピソードもあるんですよ。
中学時代「プロ育成の名将」との出会い
中学では、FC多摩ジュニアユースに進みます。
FC多摩ジュニアで指導を受けたのは、数多くのJリーガーを育てた平林清志監督。
平林監督は、選手一人ひとりを見る・把握するという方針の下で、
関川郁万(せきがわ いくま・鹿島アントラーズ)、
宮崎純真(みやざき じゅんま・ヴァンフォーレ甲府)、
師岡柊生(もろおか しゅう・鹿島アントラーズ)、
貴田遼河(きだ りょうが・アルヘンティノス・ジュニアーズ)
など、数多くのプロ選手を育てています。
大関選手自身も「サッカーの土台を作ってくれた存在」と話すほど、成長のきっかけとなった出会いでした。
当時のクラブユース全国大会ではベスト8で敗れました。しかし、後輩たちがその数年後に全国優勝を果たし、「自分たちが積み上げたものが、次に繋がった」と語る姿にも、チームを大切にする気持ちがにじみ出ています。
高校時代 セレクション不合格からの逆転ストーリー
中学2年時、ついに憧れの川崎フロンターレユースから声が掛かります。そして、練習会へ参加すると、結果は合格!
「フロンターレに行くことは全然想像していなかったんですけど、憧れのクラブにユースから入れることはそう多くないと思うので、行きたい想いがすぐに固まりました」(引用:デルフィーノ2023年6月号)。
実は、小学生のときに受けた“エリートクラス” (U-15での合流を目指す育成クラス)のセレクションでは、不合格という悔しい経験もありました。
「あの落選があったからこそ、成長できた」と語る大関選手。失敗を糧にできるのも、彼の強さですね。
しかしユース加入後も順風満帆とはいかず、1年生のときは、ミスをしたらどうしようと思うようにプレーできなかったそう。
それでも着実に力をつけ、2年時にはプリンスリーグ関東優勝、世代別代表に選出、3年時には背番号10を背負い、プレミアリーグEAST優勝に大きく貢献しました。
大関友翔 プロ入り 福島での挑戦と飛躍、そしてJ1の舞台へ
2023年に川崎フロンターレのトップチームに昇格するも、出場機会はACLの1試合のみ。「このままじゃ力になれない」と、2024年に、J3・福島ユナイテッドFCに期限付き移籍。
福島では、32試合8得点の大活躍で、J3ベストイレブンにも選ばれました。本人も「福島は、本当に大好きなクラブ」と語るほど、良い経験を積んだ様子がうかがえます。
そして2025年、川崎に復帰すると、3月にはJ1デビュー。
リーグ戦やU-20日本代表での経験を積み、ついに東アジアE-1選手権で日本代表A代表にも初選出・初出場!
U-20ワールドカップ、そしてロス五輪出場も視野に入る、今後がますます楽しみな選手です!
大関友翔 プレースタイル 「川崎の14番のDNA」を受け継ぐ司令塔
中盤でゲームを組み立てる「司令塔タイプ」のMF
中村憲剛を彷彿とさせる広い視野と独特なリズムから生まれるパスセンスが魅力です。
● 長短を織り交ぜたパスで攻撃のリズムを作る
● 相手の立ち位置を見て、ギャップに入り込む
● 巧みなターンで前を向き、味方を活かす
● サイドチェンジやスルーパスで流れを変える
「攻撃で相手の逆を取るプレーだったり、空間を使ったスルーパスだったり、サイドチェンジだったりが得意。」(引用:川崎フロンターレnote部)
中村憲剛さんを尊敬しており、そのプレーを手本に成長を続けています。
成長への意欲もピカイチ
もちろん課題もあります。フィジカルの細さを指摘され、フィジカルの面では「体重が増えにくい体質」と本人も語っており、福島では「寝るか食べるかの生活」で4キロ増量に成功。
パスを引き出す立ち位置、次のプレーへの準備、守備面の向上、ボランチとしてのコーチング、ファーストディフェンスなど、本人も数多くの課題を挙げています。
若い選手として様々な選手から刺激を受け、成長をしようとする姿勢・意識の高さを感じます。
守備面でも、E-1選手権での経験から「稲垣祥選手のようにボールを刈り取るプレーを身につけたい」と、学びを深めているようです。
こうした謙虚で前向きな姿勢が、大関選手の魅力のひとつですね。
大関友翔のプロフィールは、こちら。
生年月日 | 2005年2月6日 |
出身地 | 神奈川県川崎市麻生区 |
身長、体重 | 178cm/67kg |
愛称 | オオゼキ |
在籍チーム | 川崎フロンターレ |
ポジション | MF |
利き足 | 右 |
まとめ
今回は、大関友翔について、深堀してきました。
・出身は川崎市麻生区。子供のころからの憧れの・地元川崎フロンターレに加入。
・小学生時代のセレクションの落選、ユース時代の葛藤、そしてJ3での武者修行など、様々な困難を乗り越えて、A代表までたどり着く。
・大関選手は中盤でゲームを組み立てる“司令塔タイプ”のMF。
・広い視野と独特なリズムから生まれるパスセンスが魅力。
大関友翔の家族、ライバル、憧れなどについては、こちらをお読みください。

川崎で生まれ、川崎に育ち、川崎で夢をかなえた大関友翔選手。そのプレーには、地元への愛と、地道な努力がにじみ出ています。
憧れの中村憲剛さんの背中を追いながら、今やその姿に少しずつ近づきつつある大関選手。
これからも、川崎フロンターレと日本代表の未来を背負って、ますますの飛躍を期待したいですね!